#21 悲しい報せは突然に

自由奔放すぎたスペインひとり旅|2022.01.23|

2008年9月末、多忙な日々の中で、スペイン一人旅へ向けての心の準備だけが着々と進み、いよいよスペインへ旅立つ直前に控えていた週末だけの韓国旅行へ出発。しかし、まさに韓国から戻ったタイミング、つまり、日本出発の前日になって、突然、その悪い報せはやってきました…

自由気ままなスペインひとり旅。日本出発が9月30日で、現地を出発するのが11月30日。前回のブログでも書きましたが、大学時代にとてもお世話になったスペイン人の教授が、当時、ご夫婦でカナリア諸島のテネリフェに移住したという経緯があり、大好きな先生に久しぶりに会いたいと、スペイン本土からは遠く離れたアフリカ大陸の横あたりに位置するスペイン領カナリア諸島へ行き、そこで数週間滞在するという計画を旅の前半に組み込んでいました。教授とご主人が夫婦で住んでいるアパートメントに泊めてもらえることになり、滞在期間中は一緒に過ごし、島をいろいろ案内してくれるということで、とても楽しみにしていました。

ちなみに、スペインへ出発する直前にわざわざ韓国にひとっ飛びすることになった経緯についてはこちらのブログの中で触れていますので、よかったらさかのぼって読んでみてください。

韓国へ行くころには、もちろんすでにスペイン本土からカナリヤ諸島テネリフェへの往復の航空券も手配済みだったのですが、ちょうど韓国から日本に戻る頃、教授のご主人から、代理で私宛てに一通のEメールが届いていたのです。

その内容は、今朝方に突然、教授のご家族が亡くなられて、急遽、夫婦そろってスペイン本土の方へ飛ぶことになった。おそらく向こうに数週間は滞在することになるので、私がカナリア諸島での滞在を予定している期間中はずっとスペインにいるだろう、というものでした。

波乱に満ちた幕開け

その報せを受けた私は、まずは予定通りスペインのマドリードへ旅立ち、教授のご夫婦とは引き続き連絡を取り合いつつ、すでに予約済みのマドリードからテネリフェへの便に実際に乗るかどうかはスペインに着いてからの数日の間に決めようと考えました。

その後、スペインひとり旅の最初の街マドリードでの滞在期間中に連絡を取り、私は予定通りスペインからテネリフェへ行く便に乗るつもりであること、現地では自分でバックパッカーズを探して気ままに旅をするので一人になっても大丈夫であるということを伝えました。旅の後半ではもちろんスペイン国内を気の向くままに移動しながらバックパッカーとして放浪することはわかっていましたが、未開の地であるカナリア諸島を急遽一人で旅することになったことで、また旅の風向きが変わると感じていました。

ところが、その私のEメールに対するご主人からの返事は、予想外なものでした。

「彼女はまだ親せきの元で過ごすので少なくともあと数週間はスペインに残るが、私は先にテネリフェに戻るので、私だけでよければ、アパートメントに滞在してもらうことができるがどうだろう?」

教授には、大学4年間のうちほとんどの期間、スペイン語のクラスやゼミの講義でお世話になっていたのでとても親しかったのですが、アメリカ人であるご主人とは、実のところ、教授のお宅でのホームパーティに招待された際などに紹介されて、少し話をした程度の交流しかありませんでした。ただ、彼とはあまり面識はなかったものの、それはなかなかおもしろそうだと考えたのか、当時の私は、お言葉に甘えてなぜか大好きな先生本人が不在のお宅にお邪魔し、しばらくお世話になることを決めました。プランとしては、カナリヤ諸島到着後の最初の一週間はバックパッカーズに宿泊して一人で自由に旅をし、教授のご主人がテネリフェに戻ってきてから私がカナリヤ諸島を出発するまでの残りの2週間は、アパートメントに滞在させてもらうというものでした。

かくして、先生のご主人と私の短い共同生活が始まったのです。




さて、それではそろそろ、本篇の旅日記に戻ることにしましょう。

次回のブログではまず、特に何もなかった、短くて面白みもまったくない、2008年10月13日のジャーナルから、続きをお届けします。